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フランス・ブリュッヘンを偲んで

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    JUGEMテーマ:音楽


    古楽の草分け、オランダのリコーダー奏者、指揮者のフランス・ブリュッヘンが8月13日に亡くなりました。グスタフ・レオンハルトに次、また一つの巨星が天に召されていったと同時に、一つの時代の終わりを感じずにはいられません。

    私が、ブリュッヘンの名前を初めて知ったのは、1970年代初め高校生時代に聞いていた
    朝のFM放送でした。ここで、レオンハルト、リンデ、ブリュッゲン(!、ブリュッヘンは当時そう言われていました)やハルノンコールト(!、アーノンクールのこと)といった演奏家や、テレマン、バッハ、ヘンデルをはじめ、多くのバロック音楽に親しむ機会があったのでした。さらに当時、私が通っていた都立新宿高校では、音楽の野村先生がバロック音楽に造詣が深く、その授業を受けた私もリコーダーに没頭していた時代でした。そういう意味では私の青春のアイドルだったと言えるでしょう。

    今でもブリュッヘンの初来日(1973年2月?)のコンサートのことは忘れられません。
    上野の東京文化会館小ホールで開かれたリサイタル(小林道夫伴奏)は、まさにカルチャーショック。2m近い長身のブリュッヘンは、ステージ中央の椅子に腰かけ足を組んでリコーダーを演奏したのでした。そしてその「笛の音」といったら。リコーダーという楽器の本当の音を思い知った日でした。

    2回目の来日は1977年。この時は4月11日のコンサートを聴きました。石井眞木の「ブラック・インテンション」という委嘱作品の初演や、オルティスやヴィルジリアーノも含まれていました。今この時のプログラムを読み返して、はっとしたことがある。それは伴奏を務めた小林道夫氏の「わうれられないこと」という文章。初来日の際、小林氏がテレビのインタビューでブリュッヘンにリコーダーの将来について尋ねたところ、「ほろびるだろう」と答えた、といところです。「古い時代のものだけがもてはやされるような文化は病んでいる」という言葉が忘れられないと書かかれています。

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    1977年来日公演のプログラム

    すでに、リコーダーの限界をこの稀代の天才音楽家は見抜いていたのでしょう。
    1981年ブリュッヘンは、18世紀オーケストラを組織し、オリジナル楽器による管弦楽作品の演奏を指揮者としてスタートしたのです。幸運にもこの第1回演奏会(1981年12月7日)を私はミュンヘンで聴くことができました。当時留学していたケルンから列車で6時間もかけて行ったのです。その時のプログラムのメインがモーツァルトの「ジュピター」交響曲でした。
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    1981年12月7日。
    ミュンヘン・ヘルクレス・ザール
    18世紀オーケストラ旗揚げ公演プログラム

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    最初の和音が鳴った瞬間、それはまるでモーツァルトの初演を聴いたような感動と衝撃が身体を駆け巡りました。それからの数年間、18世紀オーケストラの演奏会をたびたび聴く機会に巡り合えたのは本当に幸運でした。

    近年は新日本フィルハーモニー管弦楽団に客演指揮者として登場し、日本の音楽界に現代ヨーロッパの潮流を伝える演奏を披露してくれました。個人的には、シューマンの交響曲第2番の演奏がもっとも印象に残っています。

    実は、今年4月にパリでブリュッヘンがパリ室内管弦楽団を指揮して「ジュピター」交響曲を指揮する予定があり、ちょうどパリに滞在していたのでで楽しみにしていました。しかし病気のためキャンセルし(ノリントンが代役で、良い演奏でしたが)、とても残念に思っていました。
    ブリュッヘンの業績の大きさを感じつつ、ご冥福を祈ります。




    la fontaine * 古楽 * 14:43 * comments(0) * trackbacks(0)

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