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札幌シンフォニエッタ第49回演奏会

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    JUGEMテーマ:音楽

    今日は札幌シンフォニエッタとのコンサートです。
    12月4日13時30分開演
    札幌サンプラザホール

    メンデルスゾーン:美しいメルジーネの物語
    ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番(独奏:黒山映)
    ベートーヴェン:交響曲第2番

    演奏:札幌シンフォニエッタ
    指揮:本多優之

    以下に今日のプログラムノートを転載します。
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    プログラムノート

    本多 優之

     「真夏の夜の夢」、「フィンガルの洞窟」、「ルイ・ブラス」などメンデルスゾーンは優れた演奏会のための序曲を残している。古くから知られた人魚伝説を題材とした「美しいメルジーネの物語」もその一つで、1833年に作曲され翌年ロンドンで初演された。
     主人公のメルジーネは人魚でありながら、人間に恋をする。相手はライムントという青年将校。メルジーネは、人間の姿になりライムントとの結婚を果たすが、月に1日だけ暇をもらう約束を夫と交わしていた。誰にも知られずに人魚の姿に戻らなければならいからだ。二人の幸福な日々は続いたが、月に1日暇をもらう妻の行動に、いつしか夫ライムントも疑念を抱くようになる。ある日のこと、メルジーネの後をつけて彼が見たのは、人魚に戻った妻の姿だった。正体を知られてしまったメルジーネは、もはや人間の世界に留まることはできず、再び人魚の世界へ戻って行く。
     曲は管楽器による水の流れを表すような美しい旋律とオーケストラ全体の力強い部分が交互に現われて次第にクライマックスを作る。それが2度繰り返され、突如として冒頭の部分が回帰し、あたかもメルジーネが再び海に戻っていくかのように静かに終わる。
     ちなみにメルジーネを題材とするオペラの台本「メルジーナ」が、オーストリアの劇作家グリルパルツァーによって書かれている。もとはベートーヴェンのために書かれたものだったが、まったく作曲に着手されずに終わり、その後クロイツァーによって作曲された。このオペラをメンデルスゾーンが見て、序曲の出来に不満をもち「より心の内面で聴ける音楽」を目指したのが作曲の動機となった。
     
    今日のプログラムで中核を占めるベートーヴェンの二作品には共通点がある。それは、ともに革新的な作品でありながら、後続する偉大な作品(ピアノ協奏曲第5番「皇帝」と交響曲第3番「英雄」)の影に隠れてしまったことだ。

     ピアノ協奏曲第4番は主調がト長調という、ベートーヴェンの作品のなかでもあまり使われることがない珍しい調で作曲されている。穏やかな独奏ピアノが先行して曲を始め、オーケストラがそれに続くという異例の展開で曲は幕をあける。静かで優美な(piano, dolce)独奏ピアノに、コントラバスを除いた弦楽器のピアニッシモがロ長調で呼応する。まるでベートーヴェンの作品に強固な音の精神を聞きとろうとする者の裏でもかくようだ。第2楽章は、独奏ピアノと弦楽器の対決で始まる。荒々しく決然と響く弦楽器に対し、独奏は弱々しくまるで嘆願するようだ。短いながらも楽章全体が劇における1シーンのようで印象深い。この協奏曲では、フィナーレになって初めてトランペットとティンパニが加わり、すべての楽器が使われるようになる。楽章ごとに楽器法を変え、多様な音響と音色が設計されているのは画期的だ。

     ここで交響曲第2番ニ長調について話をすすめる前に、少し長くなるがある文章を引用したい。
    「交響曲は偉大なもの、厳かなもの、崇高なものの表現にとりわけ適している。……豊かな響きの、輝かしく、火のように激しい書法によってのみ、その最終目的を達成することができる。・・・アレグロは偉大で大胆な楽想をもち、楽節は自由に取り扱われ、旋律と和声は外見上は無秩序に見える。また、さまざまな種類のくっきりと際立たせられたリズム、力強いバス旋律とユニゾン、協奏的な内声部、自由な模倣、しばしばフーガ風に扱われる主題、ある音から別な音への突然の移行や逸脱(その結びつきがしばしばそうであるように弱ければ弱いほど、そうした移行や逸脱はいっそう意表をつく)、それにフォルテやピアノ、特にクレシェンドのはっきりとした陰影がある。クレシェンドは上昇しながら表現力が増してゆく旋律と同時に起こる場合には最も効果的である。加えて、あらゆる声部を互いに結び付けて、その響き全体でたった一つの旋律、それもいかなる伴奏にも適さず、全体のために各声部がひとえにおのが本分を尽くすことで生じるような旋律だけが聞こえるようにする技術もある。交響曲におけるそうしたアレグロは、さしずめ詩におけるピンダロスの頌歌であり、ピンダロスの頌歌のように、聴き手の魂を高め、揺さぶる。またそこで首尾よくゆくためには、ピンダロスの煩歌と同じ精神、同じ高揚した想像力、同じ芸(技)術学を必要とするのである。」(土田英三郎訳)
     これはJ.G.ズルツァーが編纂した『一般芸術理論』(1771−4年)にある「交響曲」の項目の一部だ。ベートーヴェンの交響曲をこの叙述に照らして見てみると、驚くほどの並行関係が見てとれる。第1楽章の序奏は変化に富み、アレグロでは第1主題は低弦によって提示され、その後楽想は劇的な表現を展開していく。第2楽章は、ベートーヴェンが書いた交響曲の緩徐楽章のなかでもっとも美しく、ほとんどシューベルトやメンデルスゾーンの歌うような器楽の旋律を思わせる。第3楽章のスケルツォはその名の通り、フォルテとピアノのコントラストを自在に変化させたウィットにあふれている。フィナーレの独創的な始まりは、当時の人たちを驚かせたであろう。ベートーヴェンはこのズルツァーの著作を知っており、当時としては新しい音楽思潮が彼の交響曲創作の原点にあったことはほぼ間違いない。
     興味深いのはベートーヴェンの交響曲についての時代の人たちの評価だ。作品の大胆さに戸惑いを隠せなかったことが、交響曲第2番に関する当時の批評にもはっきりとうかがえる。
    「演奏会はベートーヴェンのニ長調の大交響曲で始まった。これは新しく独創的な楽想に満ち、力強く効果的な楽器法と学識ある彫琢を備えた作品であるが、しかし若干の箇所を短縮し、多くのあまりに風変わりな転調を犠牲にすれば、良くなることは疑いない。」(1804年一般音楽新聞 寺本まりこ訳)
     「ベートーヴェンの最新作の交響曲(ニ長調)は、そのたいへんな難しさにもかかわらず、曲を完全に味わうことができるように二回も演奏された。・・・全体が長すぎ、若干の部分は凝りすぎである」(1805年一般音楽新聞 寺本まりこ訳)
     初演から200年以上が経ち、「古典」として不動の地位にあるベートーヴェンの交響曲が持っていた「前衛的な新しさ」をもう一度見直すのも面白いだろう。



     


    la fontaine * エッセイ * 08:37 * comments(0) * trackbacks(0)

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