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2006リビングカレッジ仙台にて講演

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    モーツァルトを愛した女性たち〜手紙が語る人間模様
    9月8日14:20〜15:40

    仙台リビング社が主催するリビングカレッジに講師として招待され
    モーツァルトについて講演した。

    モーツァルトの手紙は約300通が現存しており、それらを読むと音楽のみならず、
    彼の身辺や日常も知ることができる。モーツァルトも人の子であり人間味溢れる人物だった。
    そうした観点に立って、彼にもっとも身近な三人の女性、母、姉、妻との手紙の
    やり取りもとに話しを進めた。ここではその一部を紹介したい。

    モーツァルトを愛した女性たち
    母:マリア・アンナ・ヴァルプルガ 旧姓:ペルトゥル(1720〜1778)

    レオポルト・モーツァルト(1719〜1787)と結婚、7人の子どもを儲けるが、
    5人は生後まもなく死亡。特別な教育を受けたわけではなく、当時としては
    ごく一般的な市民の女性であり母親であった。
    モーツァルトを献身的な母親の愛情で愛した

    先にモーツァルトと母親の口げんかについては
    モーツァルトと母―ある日の会話に書いたのでここでは繰り返さない。

    母親はモーツァルトの性格について興味深いことを書き残している。

    ・・・ヴォルフガングは新しく知り合いになると、すぐにも一切合財を、
    こうした人たちにあげてしまおうとするのです。
    ・・・・・私には口をさしはさむことは許されませんでしたし、
    それに私のいうことを聞いてもらえたためしもありませんでした。
    でも、《ヴェーバー家の人たち》と知りあったとたん、あの子はがらり
    心が変わってしまい、要するに、あの子は私の傍にいるよりか、
    ほかの人たちの傍にいるほうがよいのです。なにかにつけて私が自分に
    気に入らないことを口答えすると、それがあの子には面白くないのです。
    ・・・・・・あの子が食事をしているので、これをほんとにこっそりと、
    それに急いで書いていますが、見つけられないためにです。・・・

    (1778年2月5日、モーツァルトの父宛の手紙に書き添えられた母の追伸)

    この手紙にはモーツァルトの性格とともに息子を気遣う母の思いがよく表れている。


    姉:マリア・アンナ・ヴァルプルガ 愛称:ナンネル(1751〜1829) 

    両親が得た子どものうち成人して生き残った子どもの一人
    モーツァルトは姉の音楽のレッスンをそばで聴いて興味を覚え、
    姉を真似ることで音楽をはじめる。
    子どもの頃二人はつねに一心同体のような存在だった。
    しかし成人して、モーツァルトの結婚後、二人の関係は疎遠なものになっていく。

    姉ナンネルとモーツァルトの関係は特別のものであった。
    子どもの頃二人はいつも一緒に旅し、演奏し賞賛されてきた。
    しかし姉は成長すると家に留まることになる。

    そうした頃の二人の交信には、二人だけの世界を垣間見ることができる。

    ママと道化者が陽気で元気だって聞いて満足しています。でも、
    私たち可哀そうな孤児たちはほんとうに悲しみに沈んで無聊(ぶりょう)を
    託(かこ)っていなけりゃなりません。ところでピンペルルは短い前奏曲を
    一曲すぐにも送って下さいね。・・・・ママには両手にキスを、それに腕白
    者のあんたには、悪者のあんたには、お汁の多いキスを贈ります。・・・

    (1777年9月28日 姉からモーツァルトに宛てられた追伸)

    道化者、ピンペルルとはモーツァルトのことである。姉は彼をこう呼んでいた。

    ウィーンから姉に宛てたモーツァルトの手紙から彼の日常がわかる。

    ・・・9時から1時まではレッスンがあります。それから食事ですが、
    客として呼ばれている時は別で、そんな時は食事が2時か3時になります・・・・
    夕方の5時か6時より前には、何も仕事ができません。時には発表会で、
    妨げられることもあります。そうでなければ、9時まで書きます。
    ・・・・・時には1時までも夢中で書きます
    ― そして6時にはまた起きます。

    (1782年2月13日 姉宛の手紙)

    しかし仲の良かった姉弟の関係も次第に距離をおいたものになり(モーツァルトの結婚後)、
    ナンネルは父の死すらモーツァルトには知らせなかった。両者の関係は途絶えてしまう。

    母と姉との関係についてはも参照されたい。モーツァルト講座第3回

    妻:コンスタンツェ 旧姓:ヴェーバー (1763〜1842)

    モーツァルトがマンハイムで知り合ったヴェーバー家の三女。
    一家はミュンヘン、ヴィーンへと住居を移す。モーツァルトは最初次女のアロイジャと
    恋仲になるが、思いは果たされずに終わる。コンスタンツェとはヴィーン時代に
    なってはじめて交際が芽生える。
    モーツァルトは終始こまやかな愛情でコンスタンツェに接する。 

    ではコンスタンツェとはどんな女性だったか?
    手紙で紹介されているのを読む限り、あまりパッとしない。

    ・・・このひとは、醜くはありませんが、けっして美しいとは言えません。この人の美しさは、すべてその小さな黒い両の眼と、そのすてきな姿勢に
    あります。機智はありませんが、妻として、また母としての義務が果たせるだけの、十分な常識があります。浪費癖はありません。

    (1781年12月15日 父宛の手紙)

    なんだか言い訳がましい印象をうける。
    結婚に至った経緯などは、モーツァルト講座第5回も参照されたい。

    コンスタンツェに宛てた手紙から、彼女の性格も理解できる。

    ・・・ぼくから沢山お願いがあるのだ―
    第1に、淋しがらずにいること。
    第2に、からだに気をつけて、春の外気に気を許さないこと。
    第3に、ひとりで歩かないこと― いちばんいいのは、徒歩では
    けっして出かけないこと。
    第4に、ぼくの愛情を確信していること。ぼくはお前のかわいい肖像を目の前に
      置かずに、お前に手紙を書いたことは一度もない。
    第6に、そして最後に、手紙はもっとくわしく書いておくれ。・・・・・
    第5に、お願いだから、行動の上でお前とぼくの名誉を考慮するだけでなく、
      うわべにも気を配ること。このお願いを怒らないこと。・・・・

    (1789年4月16日夜11時半 妻宛の手紙 第6と第5の順序はモーツァルトによる)
     
    つまりここに書かれたことは、逆にみれば普段のコンスタンツェの行動や性格を
    表しているともいえる。だからモーツァルトにとって彼女は心配の種だったことも
    ある意味納得がいくのだ。

    手紙の出典: 海老澤敏・高橋英郎編訳 『モーツァルト書簡全集』 白水社
          柴田治三郎編訳『モーツァルトの手紙』(上)(下) 岩波文庫


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