<< October 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< モーツァルト講座 第4回 モーツァルトと女性たち I ベーズレ、アロイジャ・ウェーバー | main | 小澤征爾「復活」 >>

モーツァルト講座 第5回 モーツァルトと女性たち 供.灰鵐好織鵐張

0
    はじめに「後宮からの逃走」の始めの部分、ベルモンテのアリアをDVDで鑑賞。
    この作品は1782年7月16日に初演されているが、ベルモンテが劇中のコンスタンツェを
    思って歌う情景は、モーツァルト自身の心境に近いかもしれない。
    なぜならこの時二人は結婚を目前に控えていたのだから(8月4日に結婚)。

    講座では、モーツァルトがヴィーンに住むようになってからコンスタンツェと
    結婚するまでの経緯を手紙を読みながら解説した。
    ウェーバー家は、アロイジャのヴィーンの宮廷歌手として雇われると、一家で
    ヴィーンに移住。だが主のフリードリンを亡くした後は、下宿業で生業を立てていた。
    そこには娘がまだ三人いた(アロイジャはこの時すでにランゲと結婚していた)。

    ヴィーンで大司教の館から立ち退きを命じられたモーツァルトは、1781年5月に
    ウェーバー家に部屋を借りる。ウェーバー家にモーツァルトが移ったことで、
    モーツァルトとウェーバー家の娘との結婚が噂され、それは父レオポルトの耳にも届く。
    1781年7月25日の手紙では、父の疑いを晴らそうとしているのが読み取れる。
    だが実際には、モーツァルトはこの時すでにコンスタンツェと付き合っていたと思われる。

    その年の12月15日になって、モーツァルトはコンスタンツェとの関係を父に報告する。
    そのなかでモーツァルトは、コンスタンツェを
    「醜くはありませんが、けっして美しいとは言えません。このひとの美しさは、
    すべてその小さな黒い両の眼と、そのすてきな姿勢にあります。」

    と紹介している。
    また彼女は、
    「機智はありませんが、妻として、また母としての義務が果たせるだけの、
    十分な常識があり・・・浪費癖はありません」

    と付け加えている。



    こうしてみると、なぜ魅力に欠ける娘とモーツァルトが結婚に至ったのか疑問がのこる。
    コンスタンツェはウェーバー家では目立たない、どちらかというと浮かばれない存在だった。
    まさにそのことと、モーツァルト自身が、自らの恵まれない境遇とをオーバーラップして
    見ていたことに両者の関係がなりたっていたと考えられる。

    さて二人は1782年8月に結婚したものの、ザルツブルクの父や姉との関係は
    うまくいっていなかった。そこでモーツァルト夫妻は1783年7月から10月末まで
    ザルツブルクを訪ね、父や姉との和解を図ろうとする。そのハイライトとも言うべき
    コンサートが10月26日に行われ、そこで『ミサ曲ハ短調』K.427が演奏された。
    ソプラノのパートはコンスタンツェが歌った。ウェーバー家の娘はみな音楽の素養があり、
    アロイジャほどでないにしてもコンスタンツェもモーツァルトの作品を歌えるだけの
    技量を持ち合わせていたと考えられる。

    この作品は、『レクイエム』を除けば、モーツァルトがヴィーン時代に書いた唯一の
    大きな宗教作品で、しかも経済的な理由とは関係なく作曲された数少ない曲でもあることに
    注目したい。これは、コンスタンツェへの贈り物であり、自らの信条の具体化であり、
    また研究の成果でもある。

    鑑賞した音楽
    ♪『ミサ曲ハ短調』K.427
    から
      ソプラノの独唱曲「エト・インカルナトゥス」をDVDで鑑賞した。
      
    そのほか
    7月にちなむ音楽として
    ♪ピアノ・ソナタニ長調 K.576 第1楽章
    をCDで鑑賞した。
    la fontaine * モーツァルト * 23:31 * comments(0) * trackbacks(0)

    コメント

    コメントする









    トラックバック

    このページの先頭へ