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モーツァルト講座 第4回 モーツァルトと女性たち I ベーズレ、アロイジャ・ウェーバー

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    モーツァルト講座 第4回 ベーズレ、アロイジャ・ウェーバー

    第4回の講座では、1777年、モーツァルトがマンハイム・パリ旅行の途中で出会った
    二人の女性について話しをした。一人は従姉妹のマリア・アンナ・テークラ・モーツァルト
    もう一人は、歌手のアロイジャ・ウェーバーである。


    アンナ・マリア・テークラ・モーツァルトベーズレは愛称)は、モーツァルトの
    父レオポルトの弟フランツ・アロイスの一人娘でアウグスブルクに生まれた。


    二人が成長してから会ったのはモーツァルトが母と立ち寄った数日間が始めてで、
    両者は短い恋を体験したと考えられる。
    1777年アウグスブルクから父に宛てた手紙のなかで、モーツァルトはベーズレを
    「美しく、賢く、愛らしく、器用で、陽気なひとである」
    と述べている。
    さらに
    「本当に、ぼくたち二人は馬が合います。なにしろあのひとは、ちょっぴりいじわるですから。
    ぼくたちが二人でみんなをからかってやると、愉快になります。」
    と付け加えているところからも、二人の仲の良さが伺える。

    ところでモーツァルトからベーズレに出された手紙は、「ベーズレ書簡」として知られ、
    現在約10通が伝えられているが、その内容から19世紀には全容は伏せられてきた
    (なおベーズレからモーツァルトに宛てた手紙は現存しない)。
    1777年11月5日マンハイムからモーツァルトがベーズレに宛てた手紙は特に有名。
    随所に見られるスカトロジックな言葉遊びは、読む者を驚かせる。しかし、これを
    下品と考えてしまうのは現代のわれわれの視点にたった見方であり、当時の
    モーツァルト家の中では日常的なことだったようだ。なぜなら、モーツァルトの
    母から夫(父レオポルト)に宛てた手紙にもこうした傾向が見られるからである。


    ↑1779年5月10日 ベーズレに宛てた手紙

    残念ながらベーズレがモーツァルトに宛てた手紙は残っていない。
    モーツァルトはベーズレと別れてほどなく、マンハイムでウェーバー家の四人の娘と知り合う。
    その四人は、
    長女 ヨゼファ
    次女 アロイジャ
    三女 コンスタンツェ
    四女 ゾフィー
    である。
    四人とも音楽的な才能があったが、次女アロイジャはすでにマンハイムの宮廷で歌手として歌っていた。
    モーツァルトの指導のもと実力をつけることになるが、モーツァルトはこの若く美貌に恵まれた
    アロイジャに恋するようになる。

    父レオポルトに宛てた1778年2月4日付けの手紙で、モーツァルトはアロイジャとの
    イタリア演奏旅行について触れ、さらに三日後の2月7日付けの手紙では
    「たがいに愛しあう女をめとらなければならないだけでなく、そのような妻をめとることが
    許され、それができ、またそうしたいと思うのです」
    と述べ、アロイジャとの結婚を真剣に考えていたことが伺われる。

    1778年7月30日パリからの手紙は、唯一現存するアロイジャ宛の手紙。このなかで
    モーツァルトはアロイジャのために作曲中のアリアについて述べているが、
    それは、ソプラノのためのレチタティーヴォとアリア「テッサリアの民よ」K.316で、
    非常に高度な技巧を要求される。
    モーツァルトはこのアリアを完成させ、1778年12月にミュンヘンでアロイジャに再会するが、
    結婚の申し出は受け入れられず、失意のうちにミュンヘンを後にすることになる。

    ♪この日鑑賞した音楽
    レチタティーヴォとアリア「テッサリアの民よ」K.316

    7月8日にちなむ音楽
    ピアノ三重奏曲ト長調 K.496(1786年7月8日完成)の第1楽章を聴く。
    la fontaine * モーツァルト * 10:33 * comments(0) * trackbacks(0)

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