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モーツァルト講座 第2回 レオポルト・モーツァルト

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    2回目の講座(6月24日)では、父レオポルトとの関係を中心に話しを進めた。

    まずはじめに、モーツァルトの人生に決定的な役割を果たした父レオポルト・
    モーツァルトについて話しをした。

    レオポルトは、1719年にアウグスブルクの代々職人の家系に生まれた。
    少年時代、聖ザルヴァトール校というところで教育を受けた。そこはカトリックの
    聖職者になるために必要な教養を身に付けるところであった。6年の教育課程
    では、倫理学、科学、神学、修辞学が中心に教えられ、さらにラテン語、ギリシャ語、
    数学、物理学も教授された。さらにレオポルトは大変に成績が優秀であったので、
    次の3年の過程では哲学も学んだ。こうした学科をマスターしたことは、後に
    ヴォルフガングを教育する際に大いに役立っている(モーツァルトは学校に
    行かず、父からすべてを教わった)。
    レオポルトは勉学のみならず、歌手、ヴァイオリニストとしても傑出していた。
    ところが1735年、レオポルトの父が突然亡くなり、ザルヴァトール中学の中退を
    余儀なくされる。しかし、1737年にはザルツブルクのベネディクト会大学に入学して、
    復学する。ところが1739年に、なんと出席が足りずに退学処分になってしまう。
    その直後、彼は、トゥルン=ヴァルサッシナ・タクシス伯爵家に従僕兼楽士として
    雇われ、やがてはザルツブルク大司教の楽士に登用されるようになる。
    1747年、アンナ・マリア・ペルトルと結婚。1751年にはモーツァルトの姉ナンネル
    が誕生。そして1756年ヴォルフガングが誕生する。
    同じ年『ヴァイオリン奏法』を自費出版。この本はその後も版を重ね、
    ドイツ語圏で広く読まれた。

    レオポルトは、何と言っても二人の子ども、とくにヴォルフガングの教育者、プロモーター
    として全力を傾け、情熱を込めて自分を捧げた。仮にこの父親を持って生まれなければ、
    モーツァルトの才能は開花しなかったかもしれない。

    講座で取り上げた手紙は二つ:
    1.レオポルトがマンハイムの息子に宛てた手紙 
        ザルツブルク、1778年2月12日付

    マンハイムでモーツァルトは、アロイジャ・ウェーバーと恋愛関係になり、
    本来のパリ行きを忘れて、彼女とのイタリア演奏旅行を父に申し出る。
    もちろんレオポルトは大反対。父の至上命令でモーツァルトはパリへ行く
    ことになる。
    この非常に長い手紙のなかでレオポルトは、モーツァルトの旅行の目的は、
    「永つづきのする勤め口」を探し、「世間に出て名声と名誉を高めること」だと諭す。
    手紙の中で言及されていたK.309のピアノ・ソナタの第2楽章を聴く。

    2.モーツァルトが病身の父に宛てた手紙 ヴィーン、1787年4月4日
    しばしばモーツァルトの死生観をあらわす内容の手紙として引用される。病身の
    父を慰める意図で書かれたのであろう。同じ年の5月28日レオポルトは他界する。


    ♪6月24日にちなむ音楽
    この日は1787年6月24日に作曲された二つの歌曲を鑑賞した。
    『夕べの想い』 K.523
    『クローエに』  K.524


    とくに『夕べの想い』の歌詞は、4月4日の手紙にも通じる内容で、父を失って間もない
    モーツァルトの心情に通じるものをあらわしているように感じられた。


     
    la fontaine * モーツァルト * 00:11 * comments(0) * trackbacks(0)

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