<< September 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
<< Intermezzo ブックレビュー  ゾーヴァ・那須田「魔笛」 | main | 葬送の楽想? モーツァルト 1784年のピアノ協奏曲について  >>

ハンス・ロット 交響曲第1番を聴く

0
    新日本フィルハーモニー交響楽団
    第397回定期演奏会
    2月16日サントリーホール
    指揮:クリスティアン・アルミンク
    ピアノ:クリストファー・ヒンターフーバー


    マーラーと同時代の作曲家で、不遇の生涯を閉じた
    ハンス・ロット(1858−84)の交響曲第1番
    が演奏されるので聴きに出掛けた。
    日本初演は一昨年、東京で別の指揮者とオーケストラで行われている。

    この作品は1879年に完成されたが、全く理解されず演奏されることもなかった。
    初演はなんと100年以上経った1989年だ。
    マーラー交響曲第1番(1883−89)より先に作曲されたこの曲は、
    随所でマーラーの交響曲、部分的にはブラームス交響曲第1番
    (第4楽章の弦楽器のテーマ)を想起させる。聴いていて不思議な感じもした。
    しかし、全体としては良い曲だという印象を持つことができたし、
    実演が聴けたのは大きな成果であった。

    さて55分に及ぶこの交響曲は、伝統的な4楽章からなっている。

    1.Alla breve
    2.Sehr langsam
    3.Scherzo: Frisch und Lebhaft
    4.Sehr langsam. Belebt

    ロットがこの交響曲を作曲した当時、この作品が持つ響きは(演奏されたとしたら)
    かなりインパクトがあり、斬新なもの、と受け止められたことだろう。
    しかし、現代の我々はマーラー以降の音楽をすべて体験してしまっている。
    だから私たちがこの曲を聴く時、「マーラーに似ている」と感じるのである。
    しかし、実際には「マーラーがロットに似ている」のである。
    いやマーラーがロットの交響曲から借用したことだって考えられなくもない。
    その問題は置くとしても、今日この曲を演奏する場合には、
    作品が持つ魅力(響きの美しさ、楽想の面白さなど)を聴衆にアピールする
    表現上の工夫が必要なのではないかと強く感じた。

    指揮者アルミンクは、オーストリアの若手指揮者で、
    現在新日本フィルハーモニーの音楽監督を勤めている。
    私は彼がロットを取り上げるからには、それをどう我々に提示するか、
    興味と期待をもっていたが、残念ながら100%満たされたとはいかなかった。
    オーケストラのアンサンブルは時として粗いし、表現も一本調子なところが多く
    心に迫ってこない。
    イントネーションの甘さから、転調して音色が鮮やかに変わるべきところが、
    随所でぼやけてしまった。
    これが客演指揮者のコンサートであれば、多少大目に見る事もできよう。
    しかし、彼は新日フィルの音楽監督なのであり、当然運営、選曲、
    オーケストラの能力の維持や向上に責任がある。
    今回、彼の演奏に接したのは今日が初めてなので、
    早急な判断は下したくはないが、音楽監督としてのアルミンクの表現には、
    物足りなさを禁じえなかったし、前半に演奏したシュニトケピアノ協奏曲も、
    なぜ今この作品を取り上げるのか、という必然性を感じることができなかった。
    ヒンタフーバーのピアノは、アンコールで弾いたバッハのフランス組曲に
    もっともその特質が示されていたように思う。



    la fontaine * クラシック音楽 * 23:50 * comments(8) * trackbacks(0)

    コメント

    マーラーが帝立歌劇場から、たびたびロットのスコアを借り出していた記録が残っているそうです。
    先日ネットサーフィンをしていて読みました。
    もっとも、それがマーラーが1番を作曲する前だったかどうかはわかりませんでしたが・・。
    Comment by La fontaine @ 2006/02/19 6:14 PM
    調性音楽が崩れていく過程だと考えると、マーラーよりも半歩ばかり早かったのかもしれませんね。しかし、マーラーはロットの楽譜を見たのでしょうか?あまりに似ているところがあって不思議に感じますよね。
    Comment by キルギス旅行団 @ 2006/02/19 5:58 PM
    楽譜を見ていないのでなんとも言えないですが、
    調性音楽が崩れていく過程にあるものとみるならば
    かえって明確な転調は不必要かもしれません。
    Comment by La fontaine @ 2006/02/18 6:51 PM
    本当ですね、もし歴史にIfというものがあるならば、今ごろ私達はマーラーを「発見)していたかもしれませんね。ちなみにロットの転調が甘く聞こえるのは曲そのものの転調の構造がまだ少し甘いようにも感じますが
    Comment by キルギス旅行団 @ 2006/02/18 12:10 PM
    キルギス旅行団さん

    ほんとうですね。でも、もし彼が長く生きて、
    もっと作品を発表していたら、マーラーは
    どうなっていたでしょうかね?
    案外私たちは、今頃マーラーを発見していたかも
    しれませんね。
    Comment by La fontaine @ 2006/02/17 9:18 PM
    figaroさん

    こんばんは。これからこの曲は再認識されていくと思います。
    ただ、安易に演奏されるのは困りますがね。
    Comment by La fontaine @ 2006/02/17 9:12 PM
    ロットは沼尻さんと日本フィルの日本初演も聴いてたのですが、案外に沼尻さんのほうが曲に対する思い入れを感じました。たしかにアンサンブルは日本フィルのほうが新日フィルよりは粗かったのですが、ドラマとしての表現が沼尻さんにはありました。アルミンクは終楽章の山場がなんか映画音楽みたいになってしまいましたね。しかし、いまやロットをきかずしてマーラーは語れないし、冒頭はもろにワグナーとブルックナーの影響だし、弦は突然ブラームスになるし、若書きの曲にしては面白い曲ですね。夭折して、多くの作品をきけないのが残念です。
    Comment by キルギス旅行団 @ 2006/02/17 9:03 PM
     こんばんは。
     新日本フィルがロットの交響曲第1番を演奏することは、前々から気になっていましたが、そのような結果だったんですね。
     この作品を、いろいろなオーケストラがとり上げることによって、より充実した演奏が生み出されるようになることを期待したいですね。
    (昨年末、京都のアマチュア・オーケストラがロットの交響曲を演奏していましたが、ちょうど東京を訪ねていたため、聴くことはできませんでした)
    Comment by figaro @ 2006/02/17 1:14 AM
    コメントする









    トラックバック

    このページの先頭へ