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素顔のアーノンクール(2)

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    アーノンクール・イン・京都はとても多くの方に読んでいただいている。
    ほんとうにうれしい。それは日本での関心の高さを示してるのかもしれない。
    アーノンクールがあの形相から怖そうな人だという印象を受けるかもしれないが、
    実際は非常に気さくな面もある。
    そのことは京都のワークショップで感じられた方も多いと思う。

    さて、今日は一つのエピソードを紹介したい。
    実はアーノンクールはどこに行くのにもアリス夫人と一緒である。
    これには、訳がある。
    夫人はアーノンクールの秘書兼マネージャーなのである。
    普通有名な指揮者になると、大きなマネージメントに所属していて、
    そこから指揮の仕事を仲介される。しかしアーノンクールにはそうした
    マネージメントはついていない(多分今でも)。
    それは、彼が自分の本当にしたい音楽だけをやってきたからでもある。
    そしてそれを支えてきたのがアリス夫人である。
    自身優れたヴァイオリニストであり、長くコンツェントゥス・ムジクスの
    主席ヴァイオリンを務めた。
    だがそれだけではない。夫人は、コンサートの契約、音楽家の手配、
    パート譜の管理まですべてこなしている。
    アーノンクールは基本的に指揮する作品は、ボーイングなどを書き込んだ
    パート譜を持参している。 これを管理してオーケストラに渡し、
    演奏会後は回収するのが夫人である。もちろんパート譜に書き込むのは
    アリス夫人だ。
    オーケストラのリハーサルの初日には、いつも大きな袋を持った夫人の
    姿がある。
    そして演奏会はもちろん、リハーサルも夫人がすべて客席で聞いている。
    アーノンクールはリハーサル中に後ろを振り向くことがある。
    その視線の先には必ず夫人がいる。
    言葉は交わさないが、アイコンタクトで良し悪しが伝わるようだ。

    ある時、私がコンセルトヘボウ管弦楽団のリハーサルを見学していた時、
    近くに座っていた夫人が、何かの写譜をしていた。
    目立たず、アーノンクールが振り向く時には、必ず頭をあげる。
    以心伝心とはこのことか。
    しかし、驚くべきは夫人の写譜の美しさ。
    左手の人差し指で音符を一音一音確認しながら、丁寧にペンで書き写していく。 
    こうした夫人の献身的なサポートが今日のアーノンクールを支えている。




    la fontaine * アーノンクール * 00:59 * comments(6) * trackbacks(0)

    コメント

    sugaさん

    今度は夏の「メサイア」ですかね?
    「メサイア」は必ずしもクリスマスに
    限った曲ではなく、内容的にはいつでも
    上演できると思います。

    第九の4楽章の器楽のレチタティーヴォには
    やはり「隠された」があったのです。
    後期のベートーヴェンにはこうした面が
    強く出ていると思います。
    ベートーヴェンの音楽の隠された標題については、
    アーノルド・シェリングというドイツの音楽学者が
    1930年代にいろいろと論文を発表し論議をかもし出しました。
    アーノンクールはシェリングの論文はかなり読んでいます(本人から直接聞きました)。
    「エロイカ」がホメロスからの引用であるとか、
    「未完成」(シューベルト)にもプログラムが
    隠されているとか・・。
    アーノンクールはそうしたいわば主観的とも思われる研究を
    作品の解釈に応用していると思います。


    Comment by La fontaine @ 2005/12/15 2:44 PM
    本日の練習ありがとうございました。CS-PCMなる衛星ラジオで、夕べ「アーノンクール指揮メサイア」昨年の今頃のウィーンでのライブ(前半)が放送されました。個人的には「第九は夏、年末はメサイア」というのが好きなのです。合唱で数年に一度メサイア(今年はない)をやり、最初のテノールのアリアを聴きながら「ああ、今年もここまで来れたなあ」と、文字通りほっとするのが好きなのです。が、我が家のパラボラアンテナが春先にカラスに壊されたままになっており、それを聴くべくあわてて修理を試みたのですが専用アンテナの入手が間に合わず、とうとう昨日の放送は聴けませんでした。今日は練習の前に大渋滞の中、札幌駅前の量販店に出かけてやっと入手ました。来週は聴けそうです(後半はテキストの内容がクリスマスよりイースターになってしまいます。それよりプロコフィエフの練習もしなけりゃいけませんが)。
    思えば今年は「夏は第九」というのを実際にできた年でした。思い起こしながら、レシタティーヴォのお話を読ませていただいています。やはり、隠れた歌詞があったのだな、と。
    Comment by suga @ 2005/12/11 11:05 PM
    仮屋さん
    演奏会、大盛況だったようですね。よかったです。
    アーノンクールは来年モーツァルトイヤーなので、大活躍です。ウィーン、ザルツブルク、彼の行くところ話題が巻き起こりそうです。

    来年の来日公演でも、39・40・41、それに「レクイエム」が予定されています。私など、東京にいても貯金です(笑)。
    Comment by La fontaine @ 2005/11/27 11:48 PM
    本多さん

    アーノンクール情報、興味深く読んでいます。
    来年は札幌から東京(大阪?)に追っかけをしに行かなくてはならないので、今から貯金です(笑)。

    また先日はモーツアルト39番についてのレクチャーをありがとうございました。わがシンフォニエッタの演奏会は昨日、無事に終わりました。1楽章のアレグロの部分の弾き方は、おっしゃるとおりだと思います。その後、オケでも話をして、そのような方向性を確認しました。おかげさまで、気持ちよく演奏することができました。
    指揮者の解釈というのは、歴史や文化など、幅広い知識に支えられていることを、あらためて感じました。

    アーノンクール+モーツアルト39番と言えば、1991年のヨーロッパ室内管とのライブ盤(Teldec)がありますね。40、41番が入った2枚組は、どれもいま聴いても新鮮な躍動感があります。「こういうやり方もあるのか!」と、アーノンクールに最初に衝撃を受けた演奏であり、その後の音楽の好みに大きな影響を与えられた画期的な録音でした。
    Comment by kariya @ 2005/11/27 10:57 PM
    個人的にはアリス夫人あってのニコラウスだと思います。
    Comment by La fontaine @ 2005/11/26 1:40 AM
     こんばんは。
     確かに、京都のワークショップでは、アーノンクールの一面を知ることができたように思います。

     ニコラウスとアリスのアーノンクール夫妻のエピソードに、夫唱婦随という言葉を思い出してしまいました。
    (もちろん、婦唱夫随の時も少なからずあったのでしょうが)
    Comment by figaro @ 2005/11/26 1:27 AM
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