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アーノンクール イン 京都

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    11月11日と12日京都賞記念の講演とワークショップが開かれた。
    今年は先端技術部門、基礎科学部門、思想・芸術部門の三部門から
    それぞれ一人ずつ選ばれた。ニコラウス・アーノンクールはその
    思想・芸術部門から演奏家としてはじめて選ばれた。
    これまでこの部門では、メシアン、ケージ、クセナキス、
    リゲティなど現代音楽の作曲家が受賞している。

    その講演とワークショップを聞くために京都を訪れた。
    まず11日は、今年受賞した三人がそれぞれ記念講演として、
    今まで歩んできた道のり、家族のこと、そして専門分野での活動に
    ついて話しをした。
    どちらかというと自己紹介的な要素が強かったように思う。
    他の受賞者については専門外なので触れないでおく。
    アーノンクールは生い立ちから、人形劇との出会い、
    音楽家になる決意をした経緯や、コンツェントゥス・ムジクス、
    彼の古楽器に対する考え方を述べた。
    とくに注目すべきは、演奏には伝える内容があってはじめて
    人々に感動を与えることが出来るということだ。
    アーノンクールは、フランス革命以後音楽学校(コンセルヴァトアール)
    のシステムが確立されてから、それ以前の音楽で大切にされきた、
    表現するべき内容がおろそかにされるようになってしまったことを説明した。
    だから、モーツァルトなどフランス革命以前の音楽を演奏するには、
    それを理解していなけれればならない、という。

    第2日目の今日は、各部門にわかれてシンポジウムやワークショップが
    行われた。
    アーノンクールは楽譜には、すべてが書かれている訳ではなく、
    全音符一つでもその長さ、は同じではないと主張する。
    そのほか、バッハの受難曲におけるレチャタティーヴォの記譜法と演奏法、
    モーツァルトの楽譜における記号の意味(書かれたことと書かれなかったこと)などが実例を示して説明された。

    それに続くシンポジウムでは、4人のパネリストの自己紹介が長すぎ、
    一部で質問者の準備不足と思われる発言もあり、失望した。
    なにしろアーノンクールと意見がかみ合わない。
    あらためて、こうした討論形式の難しさを痛感した。

    休憩をはさんで、京都フィルハーモニー室内合奏団が参加して、
    モーツァルトの交響曲第33番の公開演奏指導(リハーサル)が行われた。
    アーノンクールの音楽創りがもっともよくわかる、またとない機会であった。
    アーノンクールはモーツァルトの音楽の持つ性格を、若い男女の初恋、
    ピエロ、ヨーデル、演劇的な要素を使って雄弁に説明し、
    音楽を見違えるように活き活きとした響きにしていった。
    1時間強のリハーサルがとても短く感じられた。
    アーノンクールの音楽の作り方が、このような形で公開されることは
    ヨーロッパでもきわめて稀であり、まして日本のオーケストラを指揮して
    のリハーサルが実現したことは、京都賞があっての賜物であると思う。
    しかし、欲を言えば、オーケストラとの公開リハーサルのみならず、
    受賞記念コンサートがそれに加わるならば、彼の音楽がもつメッセージを
    よりはっきりと享受できたのではなかったか。

    終了後、楽屋にアーノンクールを訪ねた。
    受賞のお祝いを述べると、
    開口一番
    「よかった?」(シンポジウムとリハーサルについて)
    と尋ねられた。
    「オーケストラとのリハーサルはもっと聞きたかったですね」
    と答えると、
    「オーケストラが時間に限りがあったんだ」
    とちょっと残念そうな顔をした。

    せっかくの機会なのだが、オーケストラにはこの後仕事が入っていたのだ!
    日本のオーケストラの現状だが、
    こうしたところのオーガナイズも企画の段階で
    もう少し詰めるべきであったのではないか、と痛感した。

    「また、来年お会いするまで」
    そう言って楽屋を後にした。

    充実した京都の二日間であったが、
    今後の課題も感じられた。


    ↓アーノンクールの著作「音楽は対話である」

    音楽は対話である―モンヴェルディ・バッハ・モーツァルトを巡る考察
    ニコラウス・アーノンクール, 那須田 務, 本多 優之
    la fontaine * アーノンクール * 23:33 * comments(3) * trackbacks(0)

    コメント

    kariya さん

    ハイドンの104番とモーツァルトの39番のallegroの冒頭は根本的に違う音楽だと思います。

    104番は民謡の旋律に似ていて、使われている音型はほぼ順次進行に限られています。そう言う意味でこの音楽は簡素で、semplice(簡素な)という言葉があてはまると考えています。

    いっぽう39番のほうは、跳躍進行をを含み、1オクターヴ以上にもわたります。その作りはとても流麗で、3拍子は後世のワルツを思わせます。
    (実際、「美しく青きドナウ」が似たような始まりです)。この部分は、semplice よりgrazioso がふさわしいように思います。
    Comment by La fontaine @ 2005/11/17 12:38 AM
    本多先生こんにちは。京都でのお仕事とご勉強、うらやましく、また、いつも音楽に真剣に取り組む先生の姿を垣間見れたようで、ますます尊敬のまなざしです。kariyaさんのご質問にも興味があります!なんでしょう?「センプリーチェ」とは。モーツアルトの39番は私の一番好きな曲で、早くてかっこいい第四楽章は、聴く度にシビれています。ヴァイオリニストには難曲と聞きましたが、kariyaさんもそう思われますか?ご活躍をお祈りいたします。
    Comment by 加賀田恭子 @ 2005/11/15 9:48 PM
    こんにちは。
    シンフォニエッタのバイオリン弾きです。ブログ、楽しく拝見しています。PMFの本も紹介してくださり、ありがとうございます。

    「ナマ」アーノンクール、うらやましい限りです。私も大ファンで、来年の来日にはぜひ聴きに(札幌には恐らく来ないでしょうから)東京にかけつけたいと思っています。

    ところで、質問があります。
    前回、わがシンフォニエッタでハイドンの「ロンドン」を振っていただいたとき、序奏部に続くアレグロの出だしを「センプリーチェで」とおっしゃいました。そんなものがあるとは知らず、まさに目からウロコでした。
    いま、シンフォニエッタでは次回本番の追い込み中なのですが、モーツァルトの39番のシンフォニーでも「ロンドン」と同じようにアダージョの序奏部に続くアレグロがあります。ここからトッティになるまでの30小節ほどもセンプリーチェなのでしょうか? そのように演奏したほうが曲の流れがいいように思います。教えてください。
    Comment by kariya @ 2005/11/14 12:36 AM
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